西日本に住む50代女性が、約30年にわたって経験した性的DVと、そこからの脱出、そして回復の日々について語ってくれました。このインタビューは、同じ境遇にある方々に向けて、「あなたは一人じゃない」というメッセージを伝えるために実現しました。
プロフィール
桜井真弓さん(仮名・52歳)は、3人の子どもを持つ母親。パート勤務の傍ら、現在は娘と二人暮らし。30年間の結婚生活の中で経験した精神的・性的DVから逃れ、新しい生活を始めて1年以上が経ちます。
「帰宅の足音で分かる、その日の運命」
洋平: 桜井さん、今日はお時間をいただきありがとうございます。まずは、DVに気づくまでの日常生活について教えていただけますか?
桜井: ありがとうございます。今思えば、結婚した当初からDVの兆候はあったんです。でも、当時はそれが「DV」だとは思いませんでした。夫は殴ったり蹴ったりする肉体的な暴力は振るわなかったので…。
洋平: 具体的には、どのような状況だったのでしょうか?
桜井: 最も象徴的だったのは、夫の帰宅時の緊張感ですね。玄関のドアが開く音がするだけで、私の体は勝手に反応していました。背筋が凍りつき、手が止まる。その日の夫の機嫌は、靴を脱ぐ音や足音だけで分かるようになってました。強く床を踏みしめるような足音だと「今日は最悪だな」って。
洋平: 日々、夫の機嫌を伺いながら生活していたわけですね。
桜井: そうです。「怒らせないように」という思いで毎日を過ごしていました。思い通りにならないと不機嫌になり、強い口調で怒る、無視する、物に八つ当たりする…。ドアを大きな音を立てて閉めたり、台所でわざと大きな音を立てたり、にらむような目で私を見たり。何がスイッチになるか分からないので、常に神経をすり減らしていました。
子どもの服を作っていただけで不機嫌になったこともあります。里帰り出産に行ったときも不機嫌でした。「酒がない」「調味料がない」といった些細なことで機嫌が悪くなると、慌てて買いに走ったりしていました。
洋平: そんな状況の中でも、外からは普通の家庭に見えていたのでしょうか?
桜井: はい。夫は公務員として真面目に働いていて、外では評判も良かったんです。友人や近所の人からは「いい旦那さんで羨ましい」なんて言われることもありました。でも、家の中では全く別人だったんです。
「私の体は『物』だった」
洋平: 長い間、辛い状況を耐え忍んでこられたわけですが、特に辛かったことはありますか?
桜井: (少し間を置いて)一番つらかったのは、性的なDVでした…。
洋平: 差し支えなければ、お聞かせいただけますか?
桜井: 夫は頻繁に性行為を求めてきました。それを断ると、彼は不機嫌になり、翌日も子どもたちの前でずっとその不機嫌さを見せつけました。子どもたちが「パパ、どうしたの?」と聞くと、「お前らには関係ない」と冷たく言い放つ。その影響が子どもたちに及ぶことが、私には耐えられなかったんです。
私が妊娠していても、臨月でお腹が大きくなっていても、産後間もない体にも容赦はありませんでした。避妊にも協力してくれず、結果として3人の子どもは年子で生まれました。
洋平: そのような状況で、どうやって耐えてこられたのでしょうか?
桜井: 「40代、50代になれば、さすがに回数も減るだろう」と思って我慢していたんです。でも40歳を過ぎても変わらなかった。むしろエスカレートしました。1年前に「一生(性行為を)続ける」と言われたとき、内心で「一生、この地獄が続くのか」と絶望しました。
夜も明け方も、私が眠っていようが関係なく起こされました。いつ求められるか分からない恐怖で、まともに眠れなくなりました。心療内科で処方された睡眠薬を上限まで飲むようになりました。
洋平: 精神的にも相当追い詰められていたのですね…。
桜井: そうですね。感情を無にして対応するしかなかったんです。自分の感情を持っていては応じきれない。だから、感情を切り離し、ただの抜け殻のようになって対応していました。「今だけ我慢すれば、数日は安全」って自分に言い聞かせて…。
でも完全に感情を殺すことはできなくて。夫は私が無表情でいることに怒りを感じるようで、そうなると余計に状況が悪化しました。だから形だけでも喜んでいるふりをする。言葉でごまかしたり、反応したりしながら、心の中では自分がどんどん遠くへ行くのを感じていました。
洋平: スキンシップや性的な関係は、本来なら夫婦の親密さや絆を深めるものですよね。それが恐怖や苦痛の源になっていたというのは…。
桜井: そうなんです。夫婦の間の性的な関係って、お互いを尊重し合うものであるべきなのに、私の場合は完全に一方的でした。自分の体が自分のものではなく、夫の欲求を満たすための「物」でしかないという感覚…それが最も尊厳を傷つけられることでした。
洋平: 桜井さんのように、性的な関係に悩む女性は少なくないと聞きます。現代では「女性用風俗」、いわゆる「女風」と呼ばれるサービスもあると聞きますが、そういったサービスについてどう思われますか?例えば、男性セラピストに数万円を支払って、恋愛感情や寂しさ、性的欲求を満たすようなサービスがあった場合、利用したいと思いますか?
桜井: (少し考えて)正直に言うと…今の私にはそんな気持ちにはなれませんね。長年、性的な関係が「強制」や「義務」だった私にとって、そういったサービスを自分から選んで利用するという発想自体が難しいんです。
でも、それを否定するわけではありません。女性にも性的欲求があって当然だし、それを満たす選択肢があることは悪いことじゃないと思います。健全な関係性や自己決定権が尊重されるなら…。私自身はまだトラウマの回復途上で、「性」というものに対して前向きな感情を持てるようになるまでには時間がかかりそうです。
まず自分の体は自分のものだという感覚を取り戻すことから始めています。自分の意思で「Yes」と言えることも、「No」と言えることも、どちらも大切だと思うようになりました。
「子どもたちの存在と罪悪感」
洋平: お子さんたちは、ご家庭の状況をどのように感じていたのでしょうか?
桜井: 子どもたちは敏感に察知していましたね。夫がリビングに入ってくると、それまでの会話が途切れ、子どもたちの表情が硬くなる。特に末っ子の健太は「ママ、パパ怒ってる?」と小さな声で聞いてくることがよくありました。
その度に「大丈夫だよ、お仕事で疲れてるだけ」と答えながら、嘘をつく自分が嫌で嫌でたまらなかったです。
洋平: お子さんたちとの関係で、特に印象に残っていることはありますか?
桜井: 長女の麻衣が「ママ、無理してない?」と聞いてきたときですね。その一言で涙がこぼれそうになりました。子どもたちの前では笑顔を保とうとしていたけれど、特に麻衣は私の様子をよく見ていたようです。
夫が子どもたちの前で私に冷たくするたびに、子どもたちの心に何が残るのか、これが彼らにとっての「普通の家庭」になってしまうのではないかと思うと苦しかったです。娘が将来、同じような関係性を「普通」だと思って受け入れてしまうのではないか…そんな恐怖と罪悪感が常にありました。
「コロナ禍と娘の一言」
洋平: 実際に行動を起こすきっかけは何だったのでしょうか?
桜井: コロナ禍で、状況が一気に悪化したんです。夫はリモートワークになり、家にいる時間が増えました。外出自粛で逃げ場もなくなりました。
ある朝、夫がコップを床に叩きつけて「なんでちゃんとした朝食が用意できないんだ!」と怒鳴ったんです。前日に何も言われていなかったのに…。私は黙って床に散らばったガラスを拾い始めました。手が震えて、小さなガラス片が指に刺さって血が出ても、拭く余裕もありませんでした。
その光景を見ていた麻衣が、夫が書斎に行った後、私に近づいてきて「ママ、これってDVじゃないの?」と言ったんです。
洋平: その言葉を聞いて、どう感じましたか?
桜井: その瞬間、世界が静止したように感じました。実は、地域の女性支援センターのボランティアで、DV被害者支援の研修も受けたことがあったんです。他の女性のためにアドバイスすることはできても、自分のこととなると認められなかった。
麻衣はさらに「ママ、離婚したことないの?考えたことも?」と聞いてきました。その瞬間、長年築き上げてきた現実逃避の壁が崩れ落ちました。涙が止まらなくなって…麻衣は黙って私を抱きしめてくれました。小さい頃から私が彼女にしてきたように。いつの間にか、守る側と守られる側が逆転していたんです。
「逃げることを決めた日」
洋平: そこから実際に行動するまでは、どのような心境の変化があったのでしょうか?
桜井: 麻衣の言葉から、自分が受けてきた扱いは「普通」ではなかったんだと、少しずつ認められるようになりました。その後も状況は悪化する一方でした。
ある晩、夫が私を求めてきたとき、初めて「今日は体調が悪い」と断ったんです。すると予想通り、彼は激怒しました。「何年一緒にいると思ってるんだ!俺の気持ちも考えろよ!」と壁を叩きました。でも、その時初めて、彼の怒りを「自分のせい」だと思わなかったんです。「これは私のせいじゃない。これはDVだ」という認識が確信に変わりました。
洋平: それから具体的にどう行動されたのですか?
桜井: 次の朝、夫が仕事に出かけるとすぐに、必要な書類やお金を集め、小さなバッグに詰めました。麻衣が学校から帰ってくると、決意を伝えました。「麻衣、ママ、逃げようと思う」と。
娘は「でも、あなたを置いていけない」と言うと、麻衣は私をきつく抱きしめて「私は大丈夫だから、ママが逃げて。私のことは心配しないで」と言ってくれたんです。息子たちには後で連絡することにして、その日のうちに実家へと向かいました。
実家に着くと、母に全てを話しました。これまで家族にも打ち明けられなかった苦しみを、初めて言葉にしたんです。話しながら、今まで押し殺していた感情が洪水のように溢れ出ました。
その後はDV被害者支援センターに連絡し、住民票の移動手続きをしました。弁護士を通じて離婚協議を始め、数日後、学校の協力を得て、息子たちも無事に迎えることができました。
「安全な場所で感じる幸せ」
洋平: 新しい生活を始められて、今はどのような日々を送られていますか?
桜井: あれから1年以上が経ちました。今は小さなアパートを借りて、麻衣と二人で暮らしています。息子たちは進学のため別の都市で一人暮らしを始めました。
生活は決して楽ではありません。パートの給料だけでは余裕がなく、夜も別の仕事をして何とか生計を立てています。でも、ドアが開く音におびえることなく生活できることが、こんなにも幸せなことだとは思いませんでした。
洋平: 精神的な回復はいかがですか?
桜井: 最初の数ヶ月は、トラウマからくる症状に苦しみました。フラッシュバックや悪夢、些細な物音に過剰に反応してしまうこともありました。カウンセリングを受けながら、少しずつ自分を取り戻しています。
性的DVの記憶に向き合うのが最も難しかったです。思い出すだけで体が強張り、吐き気を感じることもありました。性暴力についての番組を見ると、涙が止まらなくなりました。子どもたちの誕生に関わることでもあり、複雑な感情が絡み合いますから…。
でも、今はようやく向き合えるようになりました。自分の体は自分のもので、自分の意思で決められることなのだと、少しずつ実感できるようになってきました。
洋平: 具体的に、回復を感じられる瞬間はありますか?
桜井: 先日、カフェで一人でコーヒーを飲んでいたとき、ふと気づいたんです。私は笑っていました。理由もなく、自然に。その瞬間、自分の感情を取り戻しつつあることを実感しました。
麻衣もよく「ママ、最近表情が明るくなったね」と言ってくれます。子どもたちが心配そうに私を見ることもありますが、今は正直に「大丈夫だよ」と答えられるようになりました。
「これから先の人生」
洋平: 今後についてはどのようにお考えですか?
桜井: 離婚調停はまだ続いていますが、どんな結果になっても受け入れる覚悟はできています。もう二度と、あの家には戻らないと決めています。
将来的には、DV被害者支援の活動にも関わりたいと思っています。自分の経験を役立てる方法があるなら、同じ境遇の人たちの力になりたいです。
洋平: 同じような境遇にある方々へ、メッセージがあればお願いします。
桜井: 性的DVは目に見えない暴力です。「夫婦なんだから」「我慢するのが当然」という社会通念が、被害者を追い詰めます。でも、それは決して我慢すべきものではありません。
「感情を無にして生きる」ことは、生きているとは言えないんです。自分の感情を取り戻し、自分の体は自分のものだと実感できることが、本当の意味で生きることだと思います。
今の私には、まだ不安もたくさんあります。でも、もう独りじゃない。そして何より、自分自身を取り戻しつつあります。それだけでも、逃げ出す価値がありました。
苦しんでいる方に伝えたいのは、あなたは悪くないということ。そして、必ず助けてくれる人がいるということです。一歩踏み出す勇気を持ってほしいと思います。
洋平: 貴重なお話をありがとうございました。桜井さんの体験が、同じような状況で苦しんでいる方々の勇気になることを願っています。
桜井: こちらこそ、お話を聞いていただいてありがとうございました。
※DVでお悩みの方は、全国共通のDV相談ナビ(#8008)や、お住まいの地域の配偶者暴力相談支援センターにご相談ください。一人で抱え込まず、専門家に相談することが解決への第一歩です。