みなさんは、初めて買ったCDのことを覚えていますか?
私が初めてCDを買ったのは、中学1年生の13歳の時でした。
今回は好きな音楽について自己紹介の記事です。
かなりの主観ですので、ご了承くださいませ(自己紹介なので大目に見てください)
こんにちは、女性用風俗店KaRentの洋平です。
175cm 65kg 38歳
2023年11月よりセラピストとして在籍しています。
しんどいとき、寂しい時など「誰かそばにいてくれたら…」と、そんな思いを叶えるためセラピストになりました。
お気軽にご連絡下さい。
初めて買ったCDはGLAYの「pure soul」
中学1年生の時、人生で初めて自分のお金でCDを買いました。
当時の私は、お小遣いを貯めてCDを1枚買うのが精一杯だったので。
1,000円だけどA面/B面と曲の少ない8センチシングルではなく、10曲くらい入っている約3,000円のアルバムを選びました。
タワレコやHMVなどの大型店ではなく、近所の個人経営のCDショップ。
そのお店は、小さながらもジャンルを問わず様々な音楽が詰まっており、地元の音楽ファンから人気でした。
けど、地元の高校生やヤンキーもお店にいたので、若干の怖さもあったのを覚えています。
何度もお店の周りを自転車でぐるぐると回り、誰も店内にいないことを確認してから何とか入店。
そして、ついにGLAYの4枚目のアルバム「puresoul」を手に入れたのです。
puresoulを選んだ理由
GLAYのpuresoulを選んだ理由は二つあります。
- クラスの好きな子がGLAYを聴いていると言っていたから
- 明治の「ホルンとフラン」でGLAYの曲が流れていたから
家に帰って、初めて「pure soul」を聴いた時の衝撃は忘れられません。
当時KENWOODのCDコンポが自宅にあったので、やたらでかい音と低音が響きました。
「バンド」というものを初めて聞いたことや、音の鮮明さに圧倒され、中学生ながら歌詞の深さに心を打たれました。
GLAYに出会えたことで、私の音楽の趣味は大きく変わりました。
それから20年以上が経った今でも、「pure soul」を聴くと、あの頃の甘酸っぱい思い出がよみがえってきます。
余談ですがその後クラスの好きな子と付き合うことになります。
一緒にpuresoulのツルツルした歌詞カードを広げて、曲の意味を語り合ったことは、かけがえのない思い出となっています。
お互い別の高校に行くことになり別れることになりました。
中学生時代:あゆ派 vs 亜美派、GLAY派 vs L’Arc~en~Ciel派
中学生の頃、友人間でよく話題に上ったのは、音楽の好みでした。
特に
- 浜崎あゆみ派か、鈴木亜美派か
- GLAY派か、L’Arc~en~Ciel派か
というのは、給食の時間や放課後に無限の話題を提供してくれました。
当時はまだストリーミングサービスなんてなく、好きなアーティストのCDを買うか、テレビやラジオで彼らの音楽を追いかけるしかなかったので、その〇〇派という選択はなによりも個性を表していました。
COUNT DOWN TVの放送翌日には特に議論がありました。
深夜放送だったので眠かったです。
全員独自理論で好きなポイントを語るのは楽しかったですね。
浜崎あゆみと鈴木亜美
ほぼ同時期にデビューを果たした二人です。
あゆが1998年4月、亜美が同年7月です。
両者とも、当時大人気だった華原朋美の後継者的存在として注目を集めていました。
鈴木亜美は小室哲哉プロデュースの「小室ファミリー」の一員として華原と入れ替わりでデビュー。
ASAYANが切っ掛けでしたね。相性は「あみーご」だったと思います。
一方の浜崎あゆみは、エイベックスが小室に対抗するために送り出した、いわば華原のクローンとも言える存在でした。
デビュー当初は、小室のネームバリューもあって鈴木亜美の方が売り上げで優位に立っていました。
翌年リリースされたファーストアルバムで両者ともに100万枚を超えるヒットを記録し、ここから両者の人気は拮抗していきます。
そして、1999年に浜崎あゆみの「Boys & Girls」が大ヒットを記録したことで、浜崎が一気にブレイク。
さらに2000年に鈴木が芸能界を一時離れたこともあり、結果的に浜崎あゆみがカリスマ的存在となったと記憶しています。
しっぽつけてましたか?
GLAYとL’Arc-en-Ciel
GLAYとL’Arc-en-Cielは、1990年代を代表するロックバンドとして、常に比較の対象となってきました。
同じ時期に活躍し、ともにヴィジュアル系の代表格として認知されていたことから、中学のクラスでは「GLAY派」「L’Arc-en-Ciel派」に分かれて応援する風潮がありました。
音楽性に関しては、
- GLAYが親しみやすいポップなロックサウンド
- L’Arc-en-Cielは芸術性の高い独特のサウンド
で熱狂的なファンを獲得していました。
ラルクのデビュー曲はBlurry Eyesでは?と思われる方もいますが、正確にはビデオシングルの「眠りによせて」がデビューとなります。
puresoulを切っ掛けにGLAYの過去の曲にも興味をもち、Rainにたどり着きます。
そして、どうやらYoshiki(X JAPAN)というとてつもない大きな存在がいる事をなんとなく知ります。
両者の対立構図は、時にはメディアによって意図的に作り出されたものでもありました。
しかし2007年、L’Arc-en-Cielの主催イベント「JACK IN THE BOX」で、GLAYのTERUとTAKUROがサプライズ出演。
お互いのヒット曲を披露するという夢の共演が実現しました。
これにより、両バンドの確執?は解消されたと言われています。
99年~2000年代
その他
- モー娘。
- 宇多田ヒカル
- Hysteric Blue
- ELT
などをなんと無く聞いていたのですが、結果GLAYとラルクに落ち着いた中学時代でした。
高校生時代:どっぷりV系にハマる | Dir en greyとX JAPAN
高校生だった頃、日本のロックシーンは多彩なバンドで溢れていましたが、中でもDir en greyとX JAPANは、私の青春を彩る重要な役割を果たしました。
この2つのバンドは特別な存在となります。
Dir en grey
高校に入学して割とすぐに仲良くなったYくん。
髪の毛がアシンメトリーで雰囲気も独特。
風の噂で、どうやらベースをやっているらしいと知ります。
そんなYくんから、おすすめだと言う「Dir en grey」のCDを借りた。
GAUZEっていうメジャーのファーストアルバム。
最初は正直なところただのノイズに聞こえたけど、中毒性があることに気づいた。
同時に何かをぶっ壊そうにしている、伝えようとしてるような…不思議な感じがする、と徐々にハマっていく。
Yくんは「激しくて最高だよ」と言ってた。
今までそんなことを感じたことがなかったけど、初めて少し分かった気がする。
また、どうやら「Dir en greyにもYoshikiが係わっている」と言うことを、GAUZEの歌詞カードの最後のページで「produce Yoshiki」にて把握します。
小さい文字でしたが隅々まで見ていたなぁと。
後にYくんから「バンド一緒にやらない?」と誘われ、高校生でギターを始めることになったのです。
X JAPAN
Yくんに「XのCDって持ってる?」と聞き、すぐに借りました。
テレビで流れていて、なんと無くForever Loveは知っていたので、「あのバラードのバンド?」くらいの感覚でしたが、Yくんから借りたのは「BLUE BLOOD」というアルバム。
V系には特に抵抗はなかったのですが、メロディアスでヘビーで壮大な音楽性は別物でした。
Yoshikiがドラマーだと言うこともこの時に知ります。それまではピアニストだと思ってました。
GLAYやラルクも男性の中ではハイトーンボイスだなと思ってましたが、Toshiは異次元だなと。
Dir en greyとX JAPAN、一見するとスタイルの異なる2つのバンドですが、彼らに共通しているのは”振り切る姿勢”だと感じています。
激しさの中にも繊細さがあり、時に聴く者の心を深く見つめるような歌詞の数々。
彼らの音楽は、高校生の青春そのものでした。
ライカエジソンと自主盤倶楽部
V系好きにとっては認知度120%のCDショップだと思っています。
高校生の頃は毎週の様に2つの店舗に通っていました。
この2つはV系(特にインディーズメイン)に特化したCDショップで、新宿の西口側、柏木公園の近くにあります。
道を挟んで対面する場所にあるため、2店舗のハシゴが定番でした。
インディーズの場合、限定500枚など制限があるCDが多くて、予約したり売り切れる前に朝一で買いに行ったりと頻回に行っていたと思います。
自主盤倶楽部は2023年8月20日に閉店されたようで寂しい限りです。
【閉店のお知らせ】
— 自主盤倶楽部 (@jishubanclub) July 23, 2023
いつも当店をご愛顧いただきありがとうございます。
このたび自主盤倶楽部は、2023年8月20日をもちまして閉店することとなりました。
今まで長きにわたり皆様からのご支援頂きましたこと、心より感謝申し上げます。 pic.twitter.com/CYkjxg775f
ライカと自主盤切っ掛けでいろんなバンドを知りました。
特に気に入ってハマったのはこのあたり。
- syndrome:後にD(浅葱)
- Raphael
- メリー
- ムック
- 摩天楼オペラ
- シド
- cali≠gari
- Kagrra
90年代~2000年代前半のコテビ系、密室系、地下室系、名古屋系が特に好きでした。
コテオサレやネオビジュアルと呼ばれる世代はあまり興味が沸きませんでした。ガゼ、アヤビエ、ナイトメア、バロック、ViViD、アンカフェあたりにはあまりハマらずでしたね。
服装の変化
ヴィジュアル系にハマるにつれ、服装の好みにも変化が現れました。
私が特に好んで着ていたのは、
- ALGONQUINS
- h.NAOTO
- SEX POT ReVeNGe
などのブランドです。
これらはいずれもヴィジュアル系ファンの間で人気の高いファッションブランドで、バンドのイメージと連動したデザインが特徴的でした。
一方、女性の間ではバンギャとロリータと呼ばれる方々の服装が注目を集めていました。
バンギャとは、バンドギャルの略で、ヴィジュアル系バンドのファンを指す言葉です。
バンギャは
- プトマヨ
- セクダイ
- バツ
などが人気でした。
ロリータは
- Angelic Pretty
- BABY THE STARS SHINE BRIGHT
- Metamorphose temps de fille
が多かったです。
今だと「地雷系ファッション」とひとくくりにされるかもしれません。
自分もヴィジュアル系の世界観の一部になれたような気がしたものです。
ファッションを通じて、好きなバンドへの愛着や仲間意識を表現できることが、何よりも嬉しかったですね。
原宿の神宮橋などでも、日々集会がありました。
今思えば、当時の服装は少々派手だったかもしれません。
しかし、自分なりのファッションを楽しめたことは、かけがえのない経験だったと感じています。
ヴィヴィアンのアーマーリングやオーブのネックレスが一種のステータスになっていましたね。
大学生時代:バンド活動と音楽性の幅が広がる
高校時代のヴィジュアル系一辺倒から、大学生になって広がっていった音楽の趣味。
その変化の過程を振り返ってみたいと思います。
大学に入学してからは、軽音楽部に入部しました。
高校時代にバンド活動を経験していたこともあり、大学でも音楽を趣味として継続したいと強く感じていたのです。
大学在学中は、トータルで50個ほどのバンドを組みました。
その多くはコピーバンドでしたが、中にはオリジナル曲を制作するバンドも含まれていました。
コピーバンドでは、憧れのアーティストの曲を自分たちなりにアレンジして演奏することに喜びを感じました。
一方、オリジナル曲を作るバンドでは、メンバーそれぞれのアイデアを持ち寄り、一つの作品を生み出す創造的なプロセスを楽しむことができました。
大学1年:パンクの存在を知る
20年前に文字通りすり切れるまでCDを聴いた曲を生で聴けて感無量でした。#PUNKSPRING #SUM41 pic.twitter.com/Rdm86ep8zI
— 洋平🍀いつでも彼氏KaRent (@yohei_karent) March 16, 2024
高校時代、私は洋楽をまったく聴いていませんでした。
しかし、大学に入学してみると、周りには洋楽を愛聴している人が多くいることに気づきました。
そんな中、ある友人がSUM41の音楽を教えてくれたのです。
SUM41の曲は、シンプルでありながら格好良く、海外アーティスト特有の強い音圧が印象的でした。
当時の私はパンクミュージックに馴染みがなかったのですが、彼らの音楽にすんなりと引き込まれていきました。
また、SUM41の曲をギターで耳コピする楽しさも知ることができました。
SUM41との出会いは、私の音楽の趣味に大きな影響を与えてくれました。
彼らの音楽を通して、パンクロックの魅力を発見し、ギターを弾く喜びを知ることができました。
一番最初にコピーしたのは、SUM41の「The Hell Song」という曲でした。
↑のX(Twitter)のポストにあるように、20年後に最初で最後に生で聞けて感無量です。
大学2年:メタルの存在を知る
高校生の時からずっと、Dir en greyとX JAPANのコピーをしていたこともあり、ある程度テクニカルな演奏にも興味を持っていました。
同じ軽音部には生粋のメタラーがおり、ツインギターとして誘われることも多々ありました。
当時良く聞いていたいのは
- Killswitch Engage
- SEX MACHINEGUNS
- Bullet for my Valentine
Bullet for my Valentineは特に好きで来日公演を見に行ったりもしました。
大学3年:アニソンの世界を知る
ギターあるあるかと思うのですが、ある程度テクニカルな音楽が好きになると、あるときアニソンやゲームミュージックのコピーをやりたくなります。
JPop→洋楽→メタル→アニソン→ゲームミュージック→ジャズ→プログレ
こんなイメージです。
当時は
- FFのビッグブリッジの死闘
- エアーマンが倒せない
などを必死でコピーしていました。
インストのバンドなども組んだりして、楽しんでいた記憶があります。
大学4年:オリジナルの楽しさを知る
軽音楽部に所属して4年目になると、コピーしたいバンドも徐々に少なくなってきます。
そんな時、部員たちは新しいことにチャレンジするようになります。
例えば、面白い企画のコピーバンド(コミックバンド)を結成したり、オリジナル曲を作ったりするのです。
私自身は、オリジナル曲を制作するバンドに参加していました。
当時は、DTM(デスクトップミュージック)のソフトウェアが比較的手頃な価格で購入できるようになっていました。
- Pro Tools
- Cubase
といった音楽制作ソフトを使って、デモ音源を作成していたのです。
メンバーそれぞれがアイデアを出し合い、一つの曲を完成させていく過程は、とてもクリエイティブで刺激的でした。
軽音楽部の活動は、大学内だけにとどまりませんでした。
東京都内のライブハウスを借りて、同じようなジャンルの音楽を演奏するバンドとの対バンイベントを企画したりもしました。
他大学の学生バンドと交流を持つことで、音楽的な刺激を受けると同時に、友情の輪を広げることもできました。
オリジナル曲の制作と、ライブハウスでの演奏経験は、私の音楽人生における大きな財産となりました。
軽音楽部での4年間は、私の大学生活を彩る、最も充実した時間だったと言えるでしょう。
まとめ
アーティストもファンも一緒に年を重ねる – 音楽と共に歩む人生の旅路
音楽は、人生に寄り添う最も身近な芸術の一つです。
思春期に出会ったアーティストの曲は、今でも鮮明に記憶に刻まれているのではないでしょうか。
そして、そのアーティストもまた、ファンと共に年を重ねています。
私がDir en greyやラルク、SUM41に心酔していた頃、アーティストもまだ若く、エネルギッシュでした。
ステージ上で激しいパフォーマンスを繰り広げる姿に、心を震わせたものです。
あれから20年以上が経ち、彼らも私も、確かに年を取りました。
しかし、音楽に対する情熱は、今も変わらず。
時代と共に変わること
アーティストは、時代と共に音楽性を変化させていきます。
若かりし頃の曲には、青春特有の輝きがありました。
年月を経て、彼らの音楽はより深みを増し、人生経験に裏打ちされた説得力を持つようになりました。
私たちファンも、彼らの音楽の変化を追いかけながら、人生の様々な局面で、その曲々に励まされ、勇気づけられてきたのです。
彼らのライブに足を運ぶたびに、同世代のファンたちの姿を見かけます。
学生時代にモッシュピットで汗を流した仲間も、今では家庭を持ち、子育てに奮闘しているかもしれません。
みな、様々な人生経験を積みながら、今日もまた、あのアーティストの音楽を心の支えにしているのです。
アーティストとファンが一緒に年を取るということは、単に歳を重ねるだけではありません。
音楽を通じて、
- 喜び
- 悲しみ
- 希望
- 挫折
共に分かち合ってきたのだと思います。
彼らの音楽は、私たちの人生の一部となり、かけがえのない思い出を形作ってきました。
アーティストもファンも、音楽と共に年を重ねていく。
それは、人生という長い旅路を、共に歩んでいくことなのかもしれません。
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